保育士時代
カワイ音楽教室では講師


Heaven-Kissingのライブ


ジャズボーカリスト矢野麻衣子さん


各地でライブパフォーマンス

  短大卒業後、幼稚園の先生を1年だけ勤めていたのですが、最中、もっとピアノが弾きたいと思い立ち、カワイ・ヤマハのライセンスグレード取得し、カワイ音楽教室の講師となり、結婚後も続けていました。
カワイでドリマトーン(エレクトーンのような楽器)の勉強をするうちに、ポピュラー・フュージョンそして、この時ジャズに惹かれていきました。当時は、甲陽音楽学院・神戸北野などで個人レッスンを受けたり、レコードコピーをしながら、ジャズピアノを楽しんでいたのです。そして、妊娠・出産したのを機にカワイの講師を辞めましたが、自宅で個人レッスン・子育ての毎日!でもジャズへの夢は捨てきれず・・・。
毎晩子供が寝てから、ひとりピアノに向かっていました。ピアノ室の隣の部屋で寝ている娘が、ピアノの音が聴こえると泣いて起きてくるので、考えた末、ピアノ室のソファーで娘を毛布にくるみ、絵本を一冊読み「じゃ、ママは練習するからミカリンはおねんね」と言って寝かしつけたものです(同じ部屋にいると安心するのでしょう)。
そんな訳で、小学生になるまでピアノ室のソファーが、娘のベッドでした。

‘90年初、バブルの終わり頃でも演奏の仕事がいっぱいあったようで、当時ソロの仕事をしている友人から、月2、3回は、エキストラの仕事がまわってきました。
その頃住んでいた家から車で3分ほどのラウンジで、30分ステージを夜10時・11時からの2回に出演欲しいというものでした。
主人の協力と理解が得られ、子供は寝ている時間で、しかもステージの合間に家事もできるという、“主婦&ママピアニスト”には、打ってつけのお仕事でした!
人前で演奏するという程よい緊張感、リクエストに応えたいという思いから、いろんな意味で向上でき、とても良い経験が出来ました。

子供が幼稚園の年長になった年、ある紙面に主婦のジャズコーラスグループのメンバー及びピアノ伴奏者募集という記事を見つけました。
これが、私の人生を大きく変えてくれたのです。
そのグループは、メンバーが入れ替わりながらレベルアップを重ね、後に“Heaven-Kissing”というグループを結成しました。2001年には、ネクストレコードからCD「Impressive Moment」をリリースするまでに成長しました。

これがきっかけになり、私個人の演奏活動も横つながりで、広がっていったのです。
この数年、数多くのライブスポットで演奏したり、様々な楽器やボーカルの方々と共演してJazzの奥深さや魅力を改めて実感する毎日です。Jazzとひと括りに言っても色々な方向性やスタイルがあり、当時、自分らしさ“個性”を追求するのが最大の目標でした。

たくさんのミュージシャンの中で、プライベートでもお付き合いしたり、悩みや相談を話せる友人も何人か出来ました。
その中で2年前にたまたま仕事で一緒になったボーカリストの矢野麻衣子さんは、結婚している女性アーティストということもあり、お互いに趣味や話題に妙な共通点を見いだせ、ほんとうに仲良くしていただいてます。

矢野麻衣子さんと2004年の年頭に「CDを作ろう」という目標を掲げ、実現したアルバムが「Everything Must Change」です。半年以上の準備期間中いろいろ話し合い、ボーカル・ピアノ・ベースが自然に混じり合う、音づくりを目指そうということになり、我が家の防音室にエンジニアの方を呼び、すべての機材を持ち込んで録音に臨みました・・・。リラックスした雰囲気で演奏できるのが一番大切だと考えたから!
それでも最終録音日がすぎても納得できず、1ヶ月後もう一度録り直しをしました。
西川サトシ氏は、私と矢野さんの大好きなベーシストです。優しい音色とメロディックなソロプレイ、安定したサポート、そして暖かな人柄で、すっかり頼り切ってしまいました。アレンジなどにもいろいろ意見を下さり、とても感謝しています。

2005年前半は、このCDリリースを記念して、ライブがいくつかあります。
3人でよりよい音楽を追究していきますので、ぜひ私たちのライブを聴きに来て下さい。

2007年はいろんな意味で変化のあった年でした。
まず1つ目は、私生活では娘が大学生になり一応子育てが一区切り、その分演奏で一切言い訳が出来ない状態になりましたね。
もう1つは、自分がバンドマスターのバンドが出来たことです。

このところ私の演奏は8割がボーカルの方の伴奏で私自身も歌物がとても好きなこともあって、何年か集中してジョイントしてきました。が、少し前から「インストゥルメンタルで好きな曲が出来るバンドが欲しい」という気持ちが膨らんでいました。
好きな曲を突き詰めていくと、ラテン・スパニッシュ(フラメンコ物)・タンゴ・・・etc. まだまだ整理できていないのですが、明らかに日頃演奏している4ビートジャズ以外の音楽なのです。ただ私はジャズプレイヤーなので、素材の雰囲気を残しつつジャズテイストを入れていけたらと、現在思案中です。

メンバーは昔から友達で相談役であり御意見番でもある、ジャズフルートの森本優子さん。そして今回どうしても必要な楽器がギターだったんです。やりたい曲全てがギターなくしてはサウンドにならない曲ばかりで・・・しかし、ピアノと役割がかぶるギターは、私にとってはかなり遠い存在でした。

この点森本さんと頭を悩ませながら、二人の意見が一致したギターリストが大野こうじさんでした。彼はとてもセンスがよく、一緒に演奏していて相手の音やその奥にあるものまで聴き取って寄り添ってくれる人で、美しい音色とタッチを持ち、とにかく若いのに憎らしいほど上手いプレーヤーです(笑)!何度かリハーサル&ライブを重ねるうちに、彼のギターなくしてこのバンドはあり得ないという確信を持ちました。

2008年1月早々から、このバンド(バンド名いるよな~)のライブで始まり、2008年は少しずつ広げて発展させたいと??才にして、ウキウキワクワクした気分でいました。
 


CAGIOLO』メンバー
  しかし、バンドを結成したての2008年、2009年は順風満帆とはほど遠いものでした。ベースや、リズム隊を入れないというコンセプトは予想以上に難しく、ギターとピアノでぶれずにグルーブ感を出すというのが大変なことを痛感し、打ちのめされるようなライブが続きました。また選曲も定まらず、いろんな曲に手を出しては引っ込めてが続きました。ただバンド名を『CAGIOLO』という私のお気に入りのワインの銘柄に決めたのと、二ヶ月に一度は必ずリハーサル&ライブをする『アリオリオ』というホームグランドが持てたことでいろんな困難を乗り越えられたのかもしれません。
それと、この頃本業のジャズピアノでもピアノトリオのメンバーと場所を得られるようになり、二つのユニットがあることで気分転換がうまくできるようになりました。

そして2010年にCAGIOLOのターニングポイントがありました。

九州での一般の方を対象にしたコンサートの依頼があり、今までの小規模のライブハウスでの演奏と違ったステージ作りに三人で悩み工夫するうち、オリジナル曲や一般の人もよく知る曲のメドレーなどバンドの幅をひろげることができ自信にもなってきました。
好調な波が来ている感じがしていたのですが・・・フルートの森本さんの体調が・・・。

彼女は目に少々問題を抱えていて、今後の生活のために大変な手術を受けることを決意し半年間の休業にはいりました。私も大野くんも本業に専念し、三人それぞれに栄養補給して心機一転2011年5月の高槻ジャズストリートから活動を再開して新たな曲作りに取り組みはじめました。

そんな時に、まさかの森本さんの怪我! それも手術した目に・・・。

もう一度一年前と同じ大変な手術を受けて闘病、本当にショックでした。当然のことですが誰よりも本人が一番ダメージをうけました。音楽をやめるとまで・・・。
その頃の私は、もう一つのピアノトリオも継続が困難になっていて途方にくれる毎日。親友の立場では、わかりすぎるほど彼女の辛さがわかるし。どうにもならない。先が何も見えなくなりました。
落ち込みながらも怪我の前から決まっていた年末のグラバー邸のライブと年明けの福岡でのライブに、「これでバンド最後になっても後悔が残らないように!」と全力で演奏!それが久しぶりなのも相まって、信じられないほど楽しかった!私だけでなく、三人とも五年も程よい距離感で続けてこれたことを改めて実感できたと思います。


録音スタジオにてh_11
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  そこで『CAGIOLO』を形にしようと2012年始めにCDを作る決意をしたのです。そこから何度も三人でミーティングやリハーサルを重ねました。五年の間にバンドチューンは沢山増えましたが、CDを作るとなるとただランダムに曲を並べるのでは決して良い作品にはならないし、聴いていただく方に最初から最後まで楽しんでもらいつつCAGIOLOらしいサウンドを届けたいと。

2012年は夏に録音、秋にミックスダウン、その後ジャケットの制作と本当に一年がかりでCDを完成させた気がします。制作にかかわってくださった、光田さん、ハニービーの皆さん、スタジオのエンジニアの万波さんと岡本さん、カメラマンの西宮さん、デザイナーの赤田さん、支えてくれた家族。そして愛犬のもも。ももは、癌との戦いで2012年の春から二人三脚で病院通い、抗ガン剤で一時立てないほど弱り、これで逝ってしまったらどうしようと私の判断で中断して、なんとか持ち直してくれて・・・。ちょうど元気を取り戻した時に録音で、私に何の心配もかけさせない健気な子。その後急変して、最後の手術後に退院したあとミックスダウンした音源を酔っぱらいながらももと明け方まで聴き、気がついたら私の布団で寝てたなぁ。基本は外で飼っているから布団をとられたのは、後にも先にもこのときだけ。
その二日後に天国に逝ってしまったももにいつかまた会えた時に、「がんばったね、ママ!」といってもらえるよう、頑張らなければ。

     


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